韓国の歴史ドラマはなぜ漢字?2010年07月31日 20時46分44秒

興禮門(韓国)


最近、BSで韓国の歴史ドラマをよく見ている。
韓国の歴史は詳しくないのだが、見ていてストーリーが面白いので、
ついつい見てしまうのだが、見ているうちに、ふと奇妙な事に気が付いた。
ドラマの映像に現れてくる文字がハングル文字は一つも現れず、全て漢字なのだ。
ハングル文字は新しく合理的に作られた文字で3つの文字の部分の組み合わせで、
表現ができ、かつ表音文字だという事は知っていたのだが、過去の韓国では、
漢字が使われていたのだという事を知った。
韓国はどのような経緯で、漢字を捨て、ハングル文字に移行して言ったのか?
興味が湧いたので調べてみる事にした。

・ハングルとは、日本語でいえば、「ひらがな・カタカナ」に相当する。
・ハングルができる前、当時の韓国では、韓国語と言語体型が異なる中国の漢字
 が使われていた。
・漢字を理解できるのは支配層のみ一般庶民は読み書きが不可能だった。
・世宗大王(セジョン*)1は、一般民衆にも分かる文字を、当時の有名な学者達を集め
 作り上げたのがハングルで、1446年10月9日に公布された。

しかし、今の日本でさえ、漢字の影響を強く受けているのに、よく移行できたものだと
思い調べていくとやはり、移行には相当な苦難があったようだ。

ハングルはその作成当初から事大主義的な保守派から猛烈な反発を受けた。
「独自の文字を持つことは野蛮人(日本、モンゴル、チベットなどは独自の文字を使用していた)
のすることであり、(中華圏に属する)文明人の行うことではない」という理由であった。
世宗没後には、燕山君(在位1494~1506)によって徹底的なハングルの使用禁止、
ハングルによって書かれた書物の焚書、使用者の処刑といった弾圧が行われた。
以降、李氏朝鮮時代を通じてハングルは公に使われることはなかったが、
民衆の書記手段として広まっていった。
実際には民衆のみならず、中下階層の私信や宮中の女子間の公文書などにも
ハングルが盛んに用いられ、その使用はかなり広範囲に及んでいた。
近代になり李氏朝鮮が崩壊するころから、わずかな知識人層の間で民族意識を高揚
させるためにハングルを使おうという運動が見られるようになる。
1894年に勃発した日清戦争の結果、朝鮮が清王朝の勢力圏から離脱すると、
独立近代化の機運が高まり、漢文に変わって、漢字とハングルの混交文(国漢文)
による朝鮮語が初めて公用語として採用された。
このときハングルは「国文」と名付けられた。
韓国併合によって朝鮮が日本の統治下に入ってからも、科目の一つとして採りいれられた。
公文書のハングル使用は、1894年11月に公布された勅令1号公文式において、
公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まる。

「偉大なる(=ハン)文字(=グル)」の意を持つハングル。起源が判明している唯一の文字であり、
文字体系、独創性など”最も進化した”文字として世界の言語学者からの評価も高い。

*1
現在の1万ウォン札の肖像にもなっている朝鮮王朝第4代王
ハングルだけでなく、日時計や水時計、星を観測する機械、雨の量を 計る装置など、
民衆のために便利なものを学者達に工夫させ作り上げた人物としても 知られている。
1997年、ユネスコは、識字率の貢献者に与える賞を、「世宗大王識字賞(King SejongLiteracy Prize)
とした。