竹島問題2007年10月30日 18時41分29秒

■竹島はどこにある?
・隠岐島からは北西約157Km、韓国の鬱陵島(うつりょうとう)からは約92Kmの位置
(北緯37度9分30秒、東経131度55分)
・日本では、竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属している。
・島は2つの小島(西島、東島)と、これを取り囲む数十の岩礁で構成されている。
・いずれも海面から屹立した峻険な火山島で、幅約150メートルの水道を隔てて
 東西に相対している。
・面積は全ての島を合わせても約0.2平方kmで、日比谷公園ほどの大きさしかない。
・周辺海域は対馬暖流とリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに極めて豊富
・全島一本の立木もない不毛な無人島 である。
■歴史
・李氏朝鮮(1392-1910)は、鬱陵島への渡航を禁じた。この理由は以下の2つの理由があった。
(1)税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかった。
(2)倭寇による襲来から島民を守る。
・17世紀初頭、米子の海運業者大谷甚吉が、暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着。
・新島発見と考え、同志の村川市兵衛と、1618年に江戸幕府から鬱陵島への渡航許可を受ける。
・鬱陵島はその発見から「竹島」や「磯竹島」と呼ばれるようになった。
・大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採
などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。
・当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。
・竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。
・1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し国際法的にも日本の領土になった。
・日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外した。
・これを口実に1952.01.18、李承晩韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる
「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の水産資源を得る事になる。
■竹島問題
これが日韓の竹島問題の始まりである。さらに歴史は続く。
・占領下の1950年7月、GHQは、竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定
・1953年3月、日米合同委員会で竹島の演習区域からの解除が決定。
・これにより、竹島での漁業が再び行われるが、韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事
・同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した
海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃される。
・翌1954年6月、韓国内務部は「韓国沿岸警備隊は、竹島を日本の侵略から守るため、
駐留部隊を同島に急派した。」と発表。同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船
が同島から銃撃され、これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認された。
・この際、韓国側により竹島に灯台が建設されていることを確認。
・1954年9月、我が国は韓国側に対してこの紛争を国際司法裁判所に付託を提案。
・しかし、同年10月、韓国側はこの提案を拒否。また、1962年3月の日韓外相会談の際にも、
我が国としては同様の提案を行いましたが、韓国側からは前向きな反応が得られず。
■竹島の近況
・韓国側は、引き続き警備隊員を常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築
■排他的経済水域(EEZ)の問題
双方とも自分のEEZであると譲らず、韓国側は日本が調査を強行すれば測量船の拿捕(だほ)
も辞さない構えを見せていた。
・国連海洋法条約に基づき、各国は沿岸から200カイリ以内を水産物や鉱物など海洋資源
の管理権を持つEEZに設定できるが、竹島周辺では日韓双方の主張するEEZが重なっている。
・日韓・日中が領有権を巡って確執を繰り返すのではなく、資源の共同管理・共同開発を
通じた東アジア共同体の形成へと向かっていくことこそ解決の道であるとの声も上がっている。