犬小屋に入らない犬2007年10月05日 19時03分00秒

我が家にはミニチュアダックスフンド3歳♀の「座敷犬」を飼っていたのだが
と、ある事情で柴犬7歳♀を引き取る事になり、今年のお盆明けから「外飼い犬」
として飼うようになった。
最初、初対面でお互いに牽制しあって鳴きあっていたが、今では慣れて散歩も
一緒に連れて行くことが出来るようになった。
朝晩2回の食事を与えているのだが、食事の時間になると2匹の犬が、督促して、
鳴きあって、さながら戦場のようだ。
しかし、それぞれの犬に問題があって、ミニチュアダックスのほうは自分トイレが
まだ、完全に判らないようで時たま、予想外の場所にそそうをしてしまう。
柴犬のほうは、トイレは外なのでたいした問題は無いと思っていたのだが、
お隣さんの家の垣根を飛び越えてトイレをしていて、苦情が来てしまった。
早速、垣根替わりの木製の間仕切り板を買ってきて設置した。
いずれも、飼い主がトイレをいつもきれいに片付けてやっていれば、いいのだが、
なかなか、そんな暇も無く目下、躾に奮闘中である。
それにもまして、頭を痛めているのが、柴犬が折角犬小屋を置いてやっているのに
その、中に入らない事だ。
庭に穴をあちこち掘って、その中で寝ている。
穴を掘ってその中に入って、体を冷やしているような事がネットで紹介してあったが、
雨の日も犬小屋に入らず、木陰で寝そべっており、これから、寒くなるので心配だ。
なんとか、犬小屋で寝るように躾をしようと思い、色々試行錯誤した。
①まず、犬小屋に慣らすために食事のボールを犬小屋の中に入れて食事を与えた。
 最初は、怖がっていたが、空腹には替えられないと思ったのか、中に入って食事を
 するようになったのだが、食べるとすぐに外に出てしまう。
②犬小屋の、床のにおいや、足音に敏感なので、床にマットを敷いてやった。
 以前より、おそるおそる入るような事はなくなったが、やはり食べるとすぐ出てしまう。
③犬小屋のニスの匂いがきらいなのかと思い、消臭スプレーをかけたり、マットで
 犬の体をゴシゴシ拭いて、匂いをつけてやったりもしたが、これも効果なし。
次に、打つ手は..... 犬の心が判らない。 当分思案が続きそうだ。

やっと犬が犬小屋に入った。2007年10月21日 23時41分08秒

秋も深まりそろそろ紅葉も見ごろになりそうな朝晩が冷え込む時期になってきた。
我が家の外飼いのワンちゃんがなかなか犬小屋に入らなくて、こんなに寒くなって
どうするのかと思って心配していると、ある日冷たい雨が降ったひがあった。
それまでは、雨が降っても小屋に入らずに地面に掘った穴で濡れたまま寝ていた
のに、なんと犬小屋に入って寝ているではないか....。
犬小屋が小さくてちょっと窮屈そうなので、新たに大きな犬小屋を用意しようかなと
考えていたぐらいだったが、これで一安心だ。
思い起こせば、犬小屋に入れるためにいろいろ工夫してきたのだが、放っておけば
結局は寒さに耐え切れずに、自然に犬小屋に入っていたのかもしれない。
しかし、いろいろと工夫をしてやってその気持ちが犬にも伝わって入ってくれたのだと
信じたい。
犬小屋に入ってくれるようにこれまでやってきた事を列挙しておく。
・ニスの匂いがいやなのかと思い消臭スプレーで匂いを消した。
・木の床で、自分のツメが木に当たる足音で怖がっていたのでタオルを床に敷いた。
・犬の体をタオルでゴシゴシ拭いてやって自分の匂いを床に敷いたタオルにつけた。
・小屋に入る事に慣れさせるために、食事をいつも小屋の中で食べさせた。
・室内犬がいるので、犬小屋にその室内犬を入れてやって、怖くない事を見せた。
ところで、室内犬と外飼い犬が我が家では同居しているのだが、観察していると
非常に面白い。
室内犬は、ミニチュアダックス♀3歳、外飼い犬は柴犬♀7歳で、今までの境遇に
結構差がある。
ミニチュアダックスは生まれた後、すぐに我が家に引き取られそれ以来ずっと、
室内生活で、寒い日でも人間様が床暖房をすると、その恩恵に預かる事が出来る。
わがまま放題で、他人でも誰でも(たぶんドロボーさんでも)じゃれてまとわり付く。
しつけがうまく出来ていなくて、いまでも時々自分のトイレで用を足さない。
寒さに弱いのか、床暖房をしていなくて寒そうな日には冷蔵庫のファンの排気付近
(そこから温風が吹き出している。)でうずくまっている。
人間様でいえば、いわゆる三食昼寝付きの何不自由の無い境遇だ。
一方、柴犬はちょっとかわいそうな経歴がある。
もともと、妻の実家で飼われていたのだが、そのころ親犬と外で飼われていた。
容姿の面で、親犬のほうが可愛らしく、体も親犬のほうが小さかったので、
家に訪れた時、誰もが親犬のほうばかり可愛がっていたようだ。
ところが、今年の四月に妻の実家の義兄、義父が相次いで亡くなり、飼い主が
いなくなった。
しばらく、近所のおばあさんの好意に甘えて面倒を見てもらっていたのだが、 
高齢な上に、交通量の多い道路をわたって食事の世話に来るという話を聞き、
急遽我が家に引き取る事になったのである。
警戒心が強く、犬小屋でもなかなか入らなかったし、食事を与える時もおねだりの、
「ワン」も言わなかった。
いわゆる、「しいたげられた犬」の境遇だった訳である。
観察してみると、この2匹の犬は性格も異なっており見ていて楽しい。

竹島問題2007年10月30日 18時41分29秒

■竹島はどこにある?
・隠岐島からは北西約157Km、韓国の鬱陵島(うつりょうとう)からは約92Kmの位置
(北緯37度9分30秒、東経131度55分)
・日本では、竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属している。
・島は2つの小島(西島、東島)と、これを取り囲む数十の岩礁で構成されている。
・いずれも海面から屹立した峻険な火山島で、幅約150メートルの水道を隔てて
 東西に相対している。
・面積は全ての島を合わせても約0.2平方kmで、日比谷公園ほどの大きさしかない。
・周辺海域は対馬暖流とリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに極めて豊富
・全島一本の立木もない不毛な無人島 である。
■歴史
・李氏朝鮮(1392-1910)は、鬱陵島への渡航を禁じた。この理由は以下の2つの理由があった。
(1)税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかった。
(2)倭寇による襲来から島民を守る。
・17世紀初頭、米子の海運業者大谷甚吉が、暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着。
・新島発見と考え、同志の村川市兵衛と、1618年に江戸幕府から鬱陵島への渡航許可を受ける。
・鬱陵島はその発見から「竹島」や「磯竹島」と呼ばれるようになった。
・大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採
などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。
・当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。
・竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。
・1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し国際法的にも日本の領土になった。
・日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外した。
・これを口実に1952.01.18、李承晩韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる
「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の水産資源を得る事になる。
■竹島問題
これが日韓の竹島問題の始まりである。さらに歴史は続く。
・占領下の1950年7月、GHQは、竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定
・1953年3月、日米合同委員会で竹島の演習区域からの解除が決定。
・これにより、竹島での漁業が再び行われるが、韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事
・同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した
海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃される。
・翌1954年6月、韓国内務部は「韓国沿岸警備隊は、竹島を日本の侵略から守るため、
駐留部隊を同島に急派した。」と発表。同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船
が同島から銃撃され、これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認された。
・この際、韓国側により竹島に灯台が建設されていることを確認。
・1954年9月、我が国は韓国側に対してこの紛争を国際司法裁判所に付託を提案。
・しかし、同年10月、韓国側はこの提案を拒否。また、1962年3月の日韓外相会談の際にも、
我が国としては同様の提案を行いましたが、韓国側からは前向きな反応が得られず。
■竹島の近況
・韓国側は、引き続き警備隊員を常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築
■排他的経済水域(EEZ)の問題
双方とも自分のEEZであると譲らず、韓国側は日本が調査を強行すれば測量船の拿捕(だほ)
も辞さない構えを見せていた。
・国連海洋法条約に基づき、各国は沿岸から200カイリ以内を水産物や鉱物など海洋資源
の管理権を持つEEZに設定できるが、竹島周辺では日韓双方の主張するEEZが重なっている。
・日韓・日中が領有権を巡って確執を繰り返すのではなく、資源の共同管理・共同開発を
通じた東アジア共同体の形成へと向かっていくことこそ解決の道であるとの声も上がっている。